実家が『超貧乏だった』芸能人5選 想像しがたい衝撃的なエピソードも

煌びやかな芸能界で活躍している人たちからは想像つかないほどの貧乏生活を乗り越えてきた芸能人は少なくありません。本記事では、実家が『超貧乏だった』芸能人と衝撃的なエピソードを紹介します。

実家が『超貧乏だった』芸能人5選

華やかな芸能界で活躍する人の中には、実は幼少期に実家が貧乏だった……というエピソードを持つ人も少なくありません。衝撃的な経験を経て、現在の姿があると思うと、より活躍している姿に胸を打たれることでしょう。

今回は、そんな「実家が超貧乏だった」というエピソードを持つ芸能人を紹介します。

1アンミカ

ポジティブ代表と言っても過言ではないほどの明るさを常に身に纏っているアンミカさん。実は彼女の幼少期はすごく貧しい暮らしを送っていたとのことです。

7人家族だったというアンミカさんは、貧乏時代、4畳半の部屋に7人全員で住んでいたことがあるのだそう。一般的な子供部屋よりも狭いサイズ感の部屋に7人でぎゅうぎゅうと密着して過ごしていたことで、「寒い冬も暖が取れた」とポジティブに話すところはアンミカさんらしいですね。

さらに、お母さんが癌を患い収入が半減したことで、お父さんが遠方へと働きに出て行ったり、その最中に火事に遭ったり、新しい家が見つかったと思えば追い出されたり……と数々の苦難に襲われたと語っています。

2.アインシュタイン・河井ゆずる

お笑いコンビ・アインシュタインの河井ゆずるさんは、明るくキレのあるツッコミで人気です。そんな普段は明るい河井さんも、実は18歳の頃に雑居ビルの屋上に建てられたプレハブ小屋に暮らしていたという衝撃エピソードがあります。

貧乏だったために、お母さんがプレハブ小屋があるビルの管理をしながら掃除する仕事に就いたことがきっかけだったようです。

暑さや寒さも凌げない状況でダンボールを敷いて毎日就寝していたといい、苦労しながらもお母さんの愛情を感じながら過ごしていたという切なくも笑いを交えた温かいエピソードが披露されていました。

3.横山裕

SUPER EIGHTの横山裕さんは、幼少期に両親が離婚したことで貧乏生活が始まり、苦しい家計を支えるために中学卒業と同時に建設会社へ就職していた過去を持ちます。さらに弟が2人いることから、一家を支えなければという思いもあり、当時のジャニーズ事務所に入所したという経緯が語られ話題となりました。

お母さんに胃がんが見つかったために、その頃から家族を養わなければという意思が強くあったといい、横山さんは2人の弟の生活費や学費を芸能活動をしながら稼いでいたという話は、世間に衝撃を与えました。

残念ながら、お母さんはすでに他界されてるそうですが、弟からは結婚式で「お父さん代わりになってくれてありがとう」と感謝されたことも明かし、強い絆で結ばれていることが窺えます。

4.NON STYLE・石田明

お笑い芸人として多くの人に笑顔を届けている石田明さん。飄々とした明るいツッコミが魅力ですが、彼もまた壮絶な貧乏時代を乗り越えてきた芸能人の1人です。

お父さんの喧嘩やギャンブルによって給料が入ってこない月もあり、知らない家族と共同生活をしていた時期もあったといいます。この時のことを「テラスハウスのはしり」と表現して周囲の笑いを誘っていました。

食べ物にも困ることが多かったといい、近所に兄弟で変わるがわる恵んでもらいに行ったり、もやしだけを食べることもあったといいます。そんな苦労エピソードも笑いに変えて話せる石田さんは、やはり逆境を乗り越えた強さがありますね。

5.風間トオル

俳優の風間トオルさんは、幼少期に両親が出て行ってしまったことで、祖父母と一緒に暮らしていたといいます。洗濯機を風呂がわりにして入っていたり、冬は川で拾った石を擦り合わせて温め、それをカイロがわりにしていたという衝撃的なアイデアエピソードも。

さらに、食べるものにも困っていたため、道端に生えている野草を片っ端から食べていたという経験や、カマキリを食べてみたこともあるという衝撃的な話も共演者を驚かせていました。

車に轢かれた際は、治療費や救急車にかかる費用が支払えないという理由で、痛みを我慢して歩いて家まで帰ったという話もあり、貧乏時代の衝撃的なエピソードが次々に飛び出すことから「貧乏レジェンド」という異名までつけられることに。

貧乏時代の苦労をバネに活躍する芸能人たち

今回ご紹介したように、芸能界には苦労した時代を乗り越え、バネにして活躍している芸能人がたくさんいます。苦労を乗り越えた末に幸せや努力の結果を掴むことの素晴らしさが改めて伝わってきました。

この記事のタイトルとURLをコピーする

カテゴリから記事を探す

すべてみる
カテゴリを見る