ざるそばともりそばの違い4つ!種類別の歴史からせいろそばの特徴まで

ざる蕎麦

蕎麦屋に行くと、「ざるそば」や「もりそば」といったメニューの記載があるのを目にすることが多いのではないでしょうか。これらの違いを理解している人はそれほど多くなく、ざるに盛ってあるのが「ざるそば」で、それ以外が「もりそば」などと誤解している人もいるようです。そこで、以下では両者の違いを見ていくことにします。

ざるそばともりそばの違い

ざるそばと薬味

「ざるそば」と「もりそば」の違いについては、様々な説があり、正解は一つではないようです。ここでは、まず両者の違いとして一般に理解されているいくつかのポイントについて順を追ってみていくことにしましょう。

1. 海苔の有無

一般的に理解されているのは、蕎麦の上に海苔がかけられているのが「ざるそば」で、海苔がかかっていないのが「もりそば」という区別の仕方です。この分け方は相当程度は正しく、実際にそのようにしてメニューを書き分けている蕎麦屋も多く存在しています。

2. 器の違い

せいろそば

二つ目の分類の仕方は、文字通り、そばが盛られている器の違いによるものです。すなわち、ざるに盛られているのが「ざるそば」で、それ以外の皿や蒸篭(せいろ)などに盛られているのが「もりそば」というわけです。そのものずばりの区別になるため、誰にとっても非常に分かりやすい分け方であると言えるでしょう。

3. 年齢の違い

一般的な傾向として、若年層は「ざるそば」と「もりそば」の違いを意識せず、海苔が載っていない蕎麦に対しても「ざるそば」という表現を使うことが多く、年配者になればなるほど両者の違いを区別することが多いようです。これは、年配者の方が幼い頃に貧困を経験している人が多く、ざるそばが貴重であったことから、明確に両者を区別しようという意識が強く働くためと考えられています。

4. 地域の違い

さらに、西日本では「ざるそば」と「もりそば」を区別せずにいずれも「ざるそば」と呼ぶ人が多いのに比べ、北海道や関東・甲信越地方では両者をきちんと区別する人が多いというデータが存在しています。これについては、明確な根拠は分かっていませんが、もともと蕎麦が江戸の文化として発展を遂げてきており、もりそばの起源も江戸であることに起因するのではないかと考えられています。

ざるそばの由来や歴史

ざる蕎麦

ざるそばは、もりそばから生まれた言葉

「もりそば」と「ざるそば」とでは、前者の方が歴史が古く、実は「ざるそば」はある出来事がきっかけとなって「もりそば」から生まれた言葉であるとされています。まずはざるそばの歴史について見ていくことにしましょう。

その出来事というのは、江戸時代の中頃に、とある蕎麦屋が他店との競争に勝つために、差別化しようとそれまで皿に盛られていた蕎麦を竹ざるに盛って出すようになったことです。同店ではそのメニューを「ざるそば」と命名して客に提供しており、それが人気となって他店も追随するようになったと言われています。

従って、ざるそばが誕生した当時は、もりそばとの違いは単に器の違いに過ぎなかったということです。なお、その蕎麦屋というのは、江戸の深川地域に存在していた伊勢屋とされています。

人気に拍車がかかり差別化が進む

しかしながら、時代が進んで明治期に入ると、ざるそばには当時の希少な調味料である味醂を使ったり、高品質の蕎麦の実やより良質とされている一番粉を使ったりと、より高級化・差別化が図られることになります。

また、よりいっそう蕎麦を美味しく食べられるようにするために、小麦粉と蕎麦粉とをブレンドした二八蕎麦などといった蕎麦がざるそばにだけ用いられるようになったのもこの頃です。そのため、そうではないもりそばとの違いを分かりやすくするために、この頃からざるそばにだけ海苔をかける蕎麦店が増えていきます。

そのような事情によって、これ以降は現在に至るまで、もりそばとざるそばの違いには、海苔の有無が付け加わることとなりました。

もりそばの由来や歴史

奈良の大仏

蕎麦の歴史

まず、元々蕎麦は、蕎麦粉をこねて団子状にした蕎麦掻き(そばがき)というものを、焼いたり蒸したりして調理して食べられていました。その歴史は古く、奈良時代には既に中国から蕎麦が輸入されて人々の食卓に供されていたことが当時の記録などから明らかになっています。
※ちなみに、当時は蕎麦は雑穀の一種であるとみなされており、米を食べることができない人の食用として使われるものに過ぎず、実際にその味を悪く言っている書物なども残されています。

江戸時代につけ汁に浸すようになる

そのような蕎麦が現在のような麺の形で食べられるようになったのは江戸時代に入ってからのことです。当初はつけ麺のように麺を別の器に入れてあるつけ汁に浸して食べる食べ方が主流でした。

面倒が生んだ「ぶっかけそば」

しかしながら、気が早いことで知られる江戸っ子たちの間で、その食べ方では面倒くさいということで、直接汁を麺の上にかけて食べる人が増えるようになります。それが「ぶっかけそば」と呼ばれるようになるのです。

差別化を図り「もりそば」が生まれる

一方、それと区別するために、従来のように汁に付けて食べる方には「もりそば」という名前が付けられるようになったのが、もりそば誕生の背景とされています。

両方に似ている「せいろそば」って?

鴨せいろ蕎麦

「もりそば」と「ざるそば」以外に、「せいろそば」という名前を耳にしたことがある人も多いのではないでしょうか。これら3つの違いとなると、さらに混乱を招きそうですが、せいろそばの由来については大きく2つの説が唱えられています。

まず一つ目が、江戸時代の初めの頃に、蒸篭で蒸したそばを客に出すことが行われており、その料理を盛り蒸篭(せいろ)と呼んでいたことが転じて「せいろそば」という言葉が生まれたというものです。

さらに、もう一つの説としては、江戸時代の末期に、物価の高騰を受けて蕎麦屋がそばの値上げを幕府に願い出た際に、値上げそのものは認められない代わりに、蒸篭を上げ底にして量を減らして提供することが認められたことによるということが言われています。すなわち、そのことを指して使われた盛りせいろという言葉からせいろそばが生まれたということです。

現在でも、購買客に値上げのインパクトを感じさせないために、スナック菓子や調味料などの値段を据え置いて量を減らすという方法が採られることがありますが、早くも江戸時代には同様のことが行われていたということです。

このように、せいろそばの起源については、異なる説が存在するものの、いずれも「もりそば」や「ざるそば」と区別をするものではなく、これらは基本的には同じものであると考えて問題ありません。

まとめ

そば畑

いかがでしたか?「ざるそば」と「もりそば」とは、海苔の有無や器の違いなどによって明確な区別が存在しています。それらの区別は何となく生まれたものではなく、両者の長い歴史に裏付けられた確かな根拠のあるものです。このような歴史を知って蕎麦を食することで、より日本の食文化への造詣も深まるのではないでしょうか。

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